インタビュー「たっきー and Nobody 委嘱作品を語る」前編。委嘱作品「餞の時鐘」の魅力とは。【#阪吹ブログ】

今年12月開催の第50回定期演奏会では、長生淳先生による第50回記念委嘱作品『交響曲第5番「餞の時鐘」』を演奏します。

この曲は昨年の定期演奏会での演奏予定曲目でした。本来はそのとき演奏されるはずでしたが、定期演奏会が新型コロナウイルスの感染拡大により中止になるなどの諸事情より、今年に持ち越されています。今回の演奏会では、引退した4回生(当時の3回生)も何名か参加されます。

そこで、今回の記事では、昨年正指揮者を務められた「たっきー先輩」に、委嘱作品にまつわるエピソードをお聞きしたインタビューをお届けします。

前編の今回は主に

  • 作品の魅力
  • 副題に込められた意味

についてお聞きしました。

ちなみに後編では、昨年中止になった定期演奏会の時のことや、今年4回生として定期演奏会に参加する意気込みなどを語っていただきました。(後編はこちら)

いずれも思いのこもったお話が聞けましたので、ぜひ最後までご覧ください。

それではどうぞ。

※画像はイメージです

―― まず、読者の皆様へ自己紹介をお願いします。

大阪大学吹奏楽団元正指揮者の瀧康二(たきこうじ)です。担当楽器はホルンで、吹奏楽は中学1年生に始めましたが、指揮は阪吹で始めました。

学部学科は理学部数学科で、トポロジーという分野を専攻している大学4年生です。

今回はよろしくお願いいたします。

―― こちらこそよろしくお願いいたします。

委嘱作品『交響曲第5番「餞の時鐘」』について

―― 今回、第50回記念定期演奏会ということで、長生淳先生にお願いして書いていただいた委嘱作品 『交響曲第5番「餞の時鐘」』 を演奏します。まず、作品全体を初めて通して見たとき、どんな感想を持ちましたか?

実は作品全体を見たのは演奏会が中止になってからで、練習当時は完成した楽章からお送りいただいていました。とても待ち遠しかったですが、あまりにも緻密な譜面に興奮しましたね。

さらにこれが、長生先生が私たちのために書いて下さったものなんだと思うと、とても胸が熱くなりました。何としてでも形にして、演奏をお客さんに届けようと強く思いました。

練習で実際に音に表した時の感動は今でも忘れられません。

―― 委嘱作品でもっとも好きなところはどこですか?

これは絞りきれない!

だから、ぜひ生の演奏でその良さを体感していただきたい!と思いますが、全4楽章構成のこの曲の、各楽章の私の視点で見た特徴を紹介しようと思います。

存在感たっぷりの1楽章

まず1楽章は、全楽章の中で最も短いですが、その存在感・印象は、今練習する中でも最も衝撃的に感じる楽章です。

まるで真っ暗な一点から世界が徐々に創造されるような、ドラマティックな展開に圧倒されます。

段階を踏んで上がっていくテンポと、徐々に力が込もる旋律が印象的な楽章です。

色彩豊かな2楽章

続けて演奏される2楽章は、非常に華やかなオープニングで幕を開け、様々な形の音符が咲きわたる花のごとく音楽を彩ります

明るい調性が続いたあと、途中で落ち着いた暗い調性を経ます。その先でロングトーンと連符が一段と鮮やかに轟くシーンが現れるのですが、この箇所が最も印象的で、とても好きな場面です。

最後は序盤のフレーズが喜びを噛み締めるかのように繰り返されて、爽やかに幕を下ろします。

泣いてるような3楽章

3楽章は緩徐楽章で、全体を緩やかな流れが支配しています。他の楽章に比べると悲しみを帯びた雰囲気で、厚みのある音の波が押しては引き、押しては引きを繰り返します。

後半に進むにつれて音が悲しみをまとったかのように強く鳴り響きますが、最後は静かな水平線のごとく音が伸び、滴が垂れるかのように音が切なく散りばめられて終わります。

4楽章でクライマックスを迎える

4楽章は楽曲の中で一番長い楽章です。楽章の大部分を8分の6拍子が占め、さまざまな旋律やリズムが複雑に絡み合います。

途中で、今までの楽章で奏られた旋律や音楽構成が順を問わず再現される場面が随所に現れます。過去の旋律を交えて音楽は次第に盛り上がりを見せてゆき、終盤で盛り上がりが頂点に達する場面では2楽章の轟くシーンが再現されます。今までの旋律が再登場して音楽が展開される部分は、演奏するたびに身に沁みます。

その後演奏は一息つくように落ち着きますが、すぐに先へ駆け出し、壮大なクレッシェンドによって最高潮に達し、余韻とともに終曲します。

って、長々と喋ってしまったな!すみません。

曲の良いところが伝わっていればと思います。

―― 曲の魅力とともに、先輩の作品への思い入れも伝わりました。一方で、委嘱作品にはその緻密な譜面ゆえの複雑さが感じられ、合奏したり楽譜を見ているとどうしても、「難解だ」「わかりにくい」という印象を持ってしまいます。そのような曲への向き合い方を教えて下さい。

そうですよね。

私は楽譜を見て楽曲を頭の中で再現できるほどの音楽性を身に付けていないので、委嘱作品に関しては合奏準備はもちろん、合奏そのものも他の曲と比べものにならないくらい大変でした。

そんな中で私なりに気をつけていた(今も気をつけている)ことは、

  • 「音を先入観なく素直に感じること」
  • 「感じたことをなるべく具体的に表すこと」

ですね。

最初が肝心

どんな曲の練習でも“練習始めたての頃”という時期がありますが、私はこの時期の楽曲の触れ方がとても大事だと考えています。

“練習始めたての頃” に、楽曲に対してただ

「難解だな」

「ややこしいな」

と感じるだけだと、楽曲の向き合い方が終始いい加減になってしまうと思うのです。”掴みが大事” というやつですかね。

素直に感じて言葉にする

「難しい、意味がよく分からない」

「こんなの簡単じゃん」

そう思う譜面でも、その感情に邪魔されずに音を並べてみて、その時の音を素直に感じて言葉に表してみる。そしてそれを練習で積み重ねる。すると、楽曲についての発見がたくさん出てきて、面白いと感じるところが少しずつ見えてきます。

その”少しずつ”が、楽曲から音楽の意図・作曲者の意図を汲み取ることにつながって、奏者自身の楽曲に対する理解につながるのではないかと思います。

指揮者はより素直に向き合わないといけない

奏者自身と言いましたが、もちろん指揮者にも当てはまると思いますし、指揮者は奏者よりそれが重要になると思います。

さらに、自分の中の楽曲のイメージ・理想像を持つことはとても大事ですが、それに頼りすぎると、バンドの出している音と理想のサウンドが混じって、適切なアプローチができなくなってしまうことがあります。

そういう意味でも「音を先入観なく素直に感じる」ことを大切にしながら楽曲に向き合っています。難解な曲に限らない話ではありますね。

ただ、これを当時の自分がしっかり出来ていたかというと、全くそうは思えません。合奏でも客演指揮者の久保田先生に「もっとバンドの音を聴いて」と、たびたび注意されたのをよく覚えています。何なら今の自分も出来ているかと言われたら、出来ているとはとても言えません。

副題「餞の時鐘」について

―― 話は変わりますが、副題「餞の時鐘」は長生先生の意向で大阪大学吹奏楽団側でつけさせていただきました。たっきー先輩は、副題をつける作業のまとめ役を担われていたと思います。どのような経緯で決まったか改めて教えて下さい。

昨年の定期演奏会が中止になったことを長生先生にご連絡した際に、長生先生から「上演にあたっては、中西さん(我々の代の団長)の代が中心となって副題をつけていただけませんでしょうか」というお声がけをいただきました。

当時は大人数で集まって相談できるような情勢ではなかったこと、また当面そのような機会を設けることは厳しそうであること、そしてそのような時期を待つと作品への思いが薄れてきてしまうかもしれないことなどから、「団内の全団員から副題を有志で募って、その中から我々の代による多数決投票により決める」という形で決めさせていただきました。

委嘱作品の演奏には全団員が参加したわけではありませんでしたが、楽曲制作の委嘱は団として行ったことであるという面から、副題案は全団体から募り、長生先生のご意向を考慮して、選別は我々の代で行った次第です。

―― 詳しく教えていただきありがとうございます。最後には当時の3回生の総意として決まったのですね。そんな「餞の時鐘」という言葉にはどのような意味が込められているのですか?

「時鐘」は時刻を知らせる鐘という意味ですが、ここでは「次章」とかけて、未来へ向かうためのきっかけ」という意味が込められています。

楽曲制作の際、長生先生は「これから先、世界へ旅立つ者の背中をそっと押す餞に」という思いをこの曲に込めてくださりました。さらに合奏を通じて、未来への羽ばたきや希望と同時に、将来に起こる困難も想起させる曲だと感じとることができました。

この先に待つ出来事が良い事か悪い事か、それは誰にも分かりません。しかしこの曲が「未来は不確定だけれど、とにかく一歩を踏み出す」ことを契機づけてくれる曲、未来へと踏み出すための餞として時鐘(きっかけ)を贈る、そんな曲になればという願いがこの副題に込められています。

―― 副題のメッセージは作品のどのような部分と共鳴していると思いますか?

1楽章での真っ暗な一点から世界が創造されるような展開や、2楽章の明るい調や暗い調を行き来する場面、4楽章の8分の6拍子で複雑なリズムが交わされる場面は、若者が理想を掲げて何かを創り上げる様子や、理想を追い求める過程で困難に直面し、四苦八苦する様子を想起させるように思います。

3楽章では、大部分が理想に届かず上手くいかない絶望している状態と重なるように思いますが、所々で光のように煌めく高音が、絶望の中で見失いかけていた目指すべきものを表しているように感じます。

また、主に4楽章で見られる過去の旋律が再現される場面は、理想を掴もうと奮闘する過程でのアプローチはどれも無駄なことではなく、必ずどこかで糧になっていることを象徴しているように感じます。この辺りから「まずは一歩を踏み出すことが大切である」ということが楽曲と絡められるのではないかと思います。

長生淳先生に委嘱するまでの経緯について

―― 委嘱作品は、本来、去年開催されるはずだった第50回記念定期演奏会に向けたプロジェクトでした。今回、長生先生に委嘱作品をお願いした理由はなんですか?

当時は50回記念ということで、様々な案を募っていました。「楽曲制作」だけでなく、「2回公演」なども集まった案の一つでしたが、募って集まった案の中でもいくつかあった「作曲家に楽曲制作を依頼する」ことに決まりました。

そこからどの作曲家に依頼するかを我々の代で相談しました。実現可能性の考慮不足や我々幹部の段取りの不手際により、決定に向けての話し合いは難航しましたが(その節は同期に大変ご迷惑をおかけしました、申し訳ございません……)、最終的には候補に上がった作曲家の中から、過去に阪吹での演奏歴がある曲の作曲家に絞り込みました。さらにそこから我々の代での多数決投票によって、長生先生にご依頼することが決定しました。

長生先生には我々の委嘱を快く引き受けて下さったこと、委嘱という形でこのような素晴らしい楽曲を提供していただいたこと、そして我々阪吹のために多くの時間と労力をかけていただいたこと、大変喜ばしく思っております。この場をお借りして心より御礼を申し上げます。本当にありがとうございます。

―― そのような紆余曲折があったとは初めて知りました。委嘱作品の実現は大変なんですね。しかし、有名な作曲家に作品を書いていただくという貴重な機会となり、プロジェクトの進めがいもあったのではないかと思いますが、未知の委嘱作品に対してどんな期待をしていましたか?

決定してからも考えることは多く重なり、決して単純な道のりではありませんでしたが、その分楽曲への期待も高まっていきました

実は私自身、長生先生の楽曲の演奏経験はなかったのですが、長生先生の楽曲を聴かせていただいたことは多くあり、その水彩画の如く華麗な印象を受ける楽曲の数々は私の音楽観の糧になっておりました(水彩画の如く華麗というのはあくまで私の感覚によるものです)。

当時特に印象に残っていた「トリトン」のような大作を思い描いておりましたが、結果的には想像を絶する楽曲の緻密さ・壮大さに興奮が止みませんでした

(明日公開の後編へ続く) (後編はこちら)

インタビュー「たっきー and Nobody 委嘱作品を語る」前編。委嘱作品「餞の時鐘」の魅力とは。【#阪吹ブログ】” に対して1件のコメントがあります。

コメントは受け付けていません。