インタビュー「たっきー and Nobody 委嘱作品を語る」後編。昨年中止になった定演と委嘱作品。演奏にかける意気込み。【#阪吹ブログ】

この記事は前回の阪吹ブログ ― インタビュー「たっきー and Nobody 委嘱作品を語る」前編。委嘱作品「餞の時鐘」の魅力とは。― の後編です。前編では委嘱作品の魅力についてたっぷり語っていただいたので、ぜひそちらもご覧ください。

後半となる今回は

  • 昨年中止になった定期演奏会と委嘱作品について
  • 今年改めて開催される第50回定期演奏会にかける意気込み

についてお聞きしています。 もはや申し訳ないくらい赤裸々に心の内を話していただけました。ぜひ最後までご覧ください。

それでは続きをどうぞ。

※画像はイメージです

昨年の中止になった定期演奏会について

―― 昨年、新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止となった定期演奏会ですが、当時どんな意気込みだったかお聞きしてもいいでしょうか。

阪吹は毎年とても挑戦的なプログラムでお客さんを圧倒することが特徴の楽団だと思っていて、私も高校生の頃、阪吹の演奏会に足を運んだ際にその挑戦的なプログラムに魅了されて、阪吹に入団したいと強く思いました(そしてそれが阪大の志望動機の約半分を占めました)。ちなみにその演奏会はJohn MackeyのTurbineを演った回です。衝撃的な曲目でした。

話が逸れましたが、昨年の定期演奏会も、コロナ禍など関係なく例外無しにぶっ飛んだプログラムだったと思っています。Goldberg2012やマスランカの5番など……。例年と同じボリューミーな演奏会ゆえに、気合はとても入りました。

また当時、阪大の課外活動の活動規制は他の関西の大学や関東の地域に比べて緩かったので、幸い定期演奏会の練習は例年通りのタイミングで開始することができました。他の団体に比べて活動の機会を多く頂けていて、逆に我々のような活動を思うようにできていない団体も数多くあることを重く受け止め、プログラムがどんなに重かろうと、絶対に良い演奏をして、必ず成功させようという気持ちでいっぱいでした。

―― そのハードなプログラムに加え、当時、交響曲の初演の指揮を行うというとても責任重大な立場にあったと思います。その中で感じた困難ややりがいはどのようなものでしたか?

そうですね。先程述べたように気合は入るばかりでしたが、次々にお送りされる楽譜を見て音にするたび、これまた興奮は高まる一方で、「音楽に指揮にまだまだ未熟な自分が、この素晴らしい楽曲を仕上げて披露することはできるのか」という不安の念も募りました。

当時、大学から指揮を始めてまだまだ自分に自信がない気持ちが強かった故に、このような負の感情は練習を重ねるたびに強くなっていきました。

しかし逆に、「指揮者を始めて間もない自分がこのような素晴らしい楽曲に携われることは、とても幸せなことなのではないか」と、幸せを噛み締めながら楽曲に取り組んでいました(2年経っても間もないと言っているようなのんびり屋さんじゃダメなんでしょうけど……)。

―― ポジティブな感情とネガティブな感情が一緒になったような気持だったのですね。話は移りますが、もしよろしければ、やむなく定期演奏会が中止になってしまったときのことや、そのときの心境を教えていただけますか?

中止の決断に至るまでには、団員のさまざまな声を受け止めました。そのような意見をまとめて、定演を中止にする基準を設けることにはやるせない感情でいっぱいでした。

結果その基準が現実に当てはまってしまい、中止となりました。悲しみを通り越して、もはや何も感じなかったですね。しかし、どんな感情よりも、命を守りたいという感情が優先されるのは当然のことですから、止むを得ない決断でした。

逆に、団員の協力によってここまで活動を続けられていたというのは非常に幸せなことだったと思います。

団員の皆さん、当時は本当にありがとうございました。

様々な不安要素を抱えていた阪吹

また、終盤は団内で負の感情がかなり強くなりました。

練習ができていたとはいえ、クオリティが思うように上がらないことで悩む団員もいて、このクオリティで演奏会を開くのは嫌だという声もありました。また、演奏会を行った際のコロナ感染リスクを恐れ、さらにそれによる阪吹の永続的な印象悪化で今後の活動に支障が出ることへの不安の声が相次ぎました。その他「コロナ対策は今のままで本当にいいのか」など活動に対する不安の声も高まりました。

正直、当時の私はさまざまな声を聞いて思い詰めて頭がイカれていて、団員を練習でまとめる力も発揮しきれずにいました。

そして実は、長生先生は楽曲制作に本当に時間を労力を割いてくださっていて、その分楽譜が手に入る時期も予定よりも後ろ倒しになっていました。作品全体を通して楽譜を見たのは演奏会が中止になってからで、演奏会本番ギリギリまで楽譜が揃っていないという現実にも直面していました。

結果、正直演奏会までに委嘱作品を仕上げられるかは客観的に見ればかなり絶望的な状況で(それでも私はなんとしてでも仕上げる気でいましたが)、先にも述べた通りあらゆる面で負の要素が強くなっていることが分かりました。

いまの心境

中止になったことは本当に残念で、今でも悔しくてたまりません。

しかし、団員の多くが負の感情を背負ったまま本番を行って、委嘱作品のクオリティも中途半端な状態で世に送り出した時に、本当に良い演奏会になったと言えただろうかと考えた時に、完全に結果論で自分勝手な後付けではありますが、「これで良かったのかな」と今は思えるようになりました。

当時は委嘱作品が私たちの代で音にすることができずに終わってしまったことで悔しい思いに溢れました。譜面を見て頭やピアノで音を鳴らしては、もう合奏練習が出来ないという事実に打ちひしがれていました。

また、団員皆に良い気持ちで活動を一区切りしてもらうことができなかったことにとても強く責任を感じ、心が重たい日々を年明け数ヶ月後くらいまで送りました(まだ少し残っています)。

―― 答えていただいてありがとうございます。今回、改めて「餞の時鐘」を演奏する機会となった12月の定期演奏会に向けてどのような意気込みをお持ちですか?

私は当時この曲を指揮する予定でしたので、今回奏者で参加させていただくことは嬉しい反面悔しい気持ちもあります。しかし、現役の後輩たちが決めたことなので仕方がないことです。それなら、今年は昨年よりも気持ちの余裕がある分、きちんと楽曲に向き合って、乗れなかった同期の分まで、ただただ良い演奏をしたいなと思います。

4回生になっての参加について、演奏について

―― 去年、定期演奏会が中止になってしまったこともあり、当時の3回生から何名か演奏に参加していただいています。後輩だらけの環境で、なにか大変なことはありますか?

まずは、演奏に参加する機会を設けてくれてありがとう

私は参加することで邪魔にならないかと考えましたが、せっかく後輩たちが機会を設けてくれたこと、長生先生の楽曲への取り組みを中途半端な形で終わらせたくなかったという思いから、参加することを決意しました。

ですが、やはり現役の後輩たちが主役ではあるので、どの程度練習に介入するべきかというのは、今も様子を伺ってしまうところがあります。

それでも、我々の代で決めて委嘱した曲だから責任を持って練習に携わりたいという思いもあって、それから私は後輩に積極的に話し掛けるタイプなのもあって、結果的にはたくさん介入してしまっているな、もしやりにくかったりしたら申し訳ないな、という気持ちはあります。

けれど私は後輩たちのことがとても好きなので、大変という感情はなく、後輩に混ざって楽しくやっています。

いつもありがとうね。

―― そういえば以前、1つ下の学年の懇親会に参加してましたよね。いつもたっきー先輩の親しみやすさには驚きますし、感謝しています。とはいえ、昨年とはメンバーが大きく入れ替わっての練習です。今年のメンバーの演奏について、前回と違いを感じるところはありますか?

正直なところ、そこまで大きな違いを感じることはありません。

ただ、昨年は練習が詰まっていたりコロナによる規制が今より激しかったこと、それによりコロナへの精神的警戒が強かったことなどで余裕が無かったですが、今年はコロナにも慣れてきて(?)、前回よりも精神的な余裕があるように思います。

昨年はとにかく楽譜を音に起こすので精一杯で、音楽を深める余裕が無かったです……。

―― いまの委嘱作品の練習を通して感じている、今後に期待することは何ですか?逆に心配していることもあるでしょうか?

ただ、大切に演奏したい。そう思います。

先にも少し触れたように、私はもう1年リベンジすることで曲の全貌を見る可能性が手に入りましたが、逆にこの楽曲を演奏したかったけれど叶わなかった人もいます。私自身本当は指揮をする身でしたから、こうして奏者の席に座っていることはある意味悔しくもあります。

ですからその分、加えてその人たちの分までこの曲を深くまで掘り下げて、心ゆくまで楽曲に携われるといいなと、心からそう思います。

また、本来、昨年演奏する予定だった曲ですから、後輩にとっては、この曲があることによって自分の代で演奏する曲が自動的に決まってしまったことになります。他からの巡り合わせによって、自分たちで決めたかった演奏する曲が勝手に定まることはとても解せないことだと思いますし、やはり演奏することに抵抗を感じる方もいらっしゃると思います。

しかし、それで演奏に身が入らなくなることはとても寂しく思います。

どうか阪吹の長い歴史の中の節目を彩る貴重な機会だと思って、楽曲に真摯に向き合ってくれると嬉しいなと思います。

―― たっきー先輩、今回はインタビューにご協力いただきありがとうございました。第50回記念となる12月の定期演奏会が良いものになるように頑張っていきたいと思います。最後に定期演奏会にお越し下さるお客様へメッセージをお願いいたします。

新型コロナウイルスの影響により、生で音楽を聴く機会はたくさん失われました。また、音楽のサブスクリプションなどの持ち歩きで音楽を聴く手段が増え、音楽は生でなくても聴けるハンディなものになってきています。

しかし、音楽を生で聴く事による感動、耳だけでなく身体全体で音楽を感じる機会というものは何にも変え難く、非常に素晴らしい機会だと思いますし、これからもその機会は価値を持ち続けると私は思っています。

新型コロナウイルスの感染はまだ終息しておらず、決して気を緩めることはできませんが、感染対策も整えながら、皆さんに生の音楽をお届けする準備を進めております。今回世界初公開となる長生先生の作品だけでなく、他の作品も良い状態でお届けできるよう後輩たちは必死で頑張っています。

生で聴いていただけるこの貴重な機会に、生で聴く価値のある演奏会になるよう誠心誠意努めて参りますので、12月25日はどうか、あましんアルカイックホールへ足をお運びください。
団員一同、心からお待ちしております!

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